しかし走行後再車検を終わらせガレージで明日に向けてマシンをメンテナンスしていると、主催者のオフィシャルが各ガレージにやってきて、今日はもう仕事をすぐに終わらせてガレージを閉めてサーキットから帰るように通達が来た。さっきの赤旗での事故により警察が介入して現場検証その他の為、コースを含むパドック全体から関係者を立ち退かせると判断をしたそうだ。我々も他のチームも仕事が途中でもそのまま今日の仕事は中止されガレージのシャッターを閉めた。パドックでは観客の親子がクラッシュしたマシンのパーツの直撃を受けて母親と二人の子供が亡くなったという話だった。この一言で自分の頭の中は真っ白になってしまった。体から力が抜けていくのがわかった。全身を虚脱感が襲って来た。本当にあってはいけない事が起こってしまった。レースは危険なスポーツである。我々のクレデンシャルにも一般観客のチケットにも“レースは危険が伴います。”と書かれている。しかし、絶対にあってはいけないことだ。ドライバーはもちろん関係者、そして観客が危険にさらされるのは断じてあっては行けない。しかし事故は起こってしまった。今はただその話が誤報であって欲しいと思っていた。調度その時テントの中ではモニター用のTVでフットボールマッチ(サッカー)のイギリス対ドイツの歴史的な因縁の試合をみんな見ている。この試合は今日イギリス全土で注目されている試合で何処のパブへ行ってもナショナリズム丸出しのイギリス人達はその試合に一喜一憂して大騒ぎをしている。しかし、サーキットのそれもこんな時に見ている神経を自分は疑った。それだけでは無くイギリスがゴールを決めた瞬間連中は大声で叫びみんな大喜びをしていた。もう我慢できない。こんな時になんでそんなに喜ぶのだ。自分は彼らに問いただした。何故こんな時にサッカーを見て大騒ぎするのだと。すると答はこうだった。これと今回の事故は違う話だ。違うストーリーである。それにこうしてその事を忘れる為、にも良い方法だと。アホか! もう何も言う気も無くなってしまった。信じられない。自分は悲しくて涙が出て来そうになってしまった。意識朦朧としていた。Johnだけが心配そうに「Dyson、大丈夫か? これは悲しい事だけど起こってしまった以上仕方が無い事だ。」と言ってくれた。それほど自分は外から見てフラフラしていたのだろうか。確かに自分ではどうしようもない。いろいろ考えてはみるが答などあるはずが無い。そして自分ではどうしようも無い事なのである。こんな事をこのレポートで書いてはいけないことだけれども今回はあえてこの事について書いておこうと思う。モータースポーツは危険と隣り合わせのスポーツである。そして死亡事故も起こりうる可能性はいつもある。自分も過去何度も死亡事故に立ち会ってきた。さっきまで元気に話していた人が30分後には帰らぬ人となってしまった事もある。本当に辛く悲しい事である。しかし、だからこそ自分は自分のドライバーにだけはそのようなことは絶対犯してはいけないと常に思っている。速さよりも安全に重点をいつも置いているつもりである。正直な話、安全を削って速さを追求しようとは更々思わない。少しマシンが重くなっても空力が悪くなっても安全性の確保をしたマシンを作っているつもりだ。そして新しい事へのトライよりも1つづつのパーツの確認とチェックを主としてメンテナンスを心がけている。マシンを速くするのはそのチェックが確実に済んだ後での作業でしかない。そして安全性が自分なりに確認できなければ新しい物へのトライはあまりしない。保守的なのかも知れないが自分の中でこの安全性だけは譲れない。だからこそサーキットではもちろんワークショップでも神経を尖らせてしまう。みんな何も起こらない時はこのスポーツが危険である事を忘れてしまいがちであるが、何かが起こってからでは遅いのだ。その時にそれに気付くのでは遅いのだ。だから常日頃からこの危険な事を意識して仕事をしなければならない。それを理解していれば日頃の仕事の態度、方法等どうすればいいのか理解するはずである。安全性。これがこのスポーツの全てである。速い事の追求はその後である。そんな考えではレースに競うことは出来ないと言う人もいるかも知れない。しかし誰が何と言おうとこのスタンスだけは自分の本筋であり決して変える事はありえない。そして今日この事故があっても自分のやるべき事はいつも一緒である。琢磨君のマシンをしっかり確実に安全にメンテナンスする事が一番重要で大切なやらなければいけない事であるのだ。
そして心配なのはもちろんその家族の人達だけれども、正直言って自分が一番心配しているのは琢磨君の事であった。琢磨君の精神状態がとても気になる。こんな時こそ自分が琢磨君の前だけでもしっかりとした態度で接して琢磨君の精神状態を落ち着かせてあげなければと思っていた。明日のレースは中止される可能性が強いと言われた。当然である。しかしレースが行われた時にドライバーの琢磨君を危険から自分は守らなければならない。マシンはもちろんだが運転する上での精神的な部分がとても大きな比重を占めてくる。こんな時こそ自分がしっかりとして琢磨君を安心させてあげなければならないと強く思った。我々はチームのミニバンでサーキットを後にしてワークショップへと向かった。途中A303を走行中にいつもサーキットに待機している救急車を追い越した。救急車はサイレンもシグナルも点灯していなかった。そういえばサーキットで事故が起こったときにもあまりけたたましくなかったし、もしこの救急車に怪我をした人が乗っているのであればもっと大急ぎで病院に向かうはずである。もしくはヘリコプターで。そんなに急いでいないという事はやはり死亡というのは誤報であって大丈夫なのでは? とかすかな期待を持っていた。ワークショップに到着してもまだ自分は落ち着きを取り戻していなかったようだ。またもJohnが心配そうに「Dyson are you OK?」と言って来てくれた。「他のやつらのことを気にするな。イギリス人と日本人とはメンンタリズムが違うから仕方が無い。」と言って慰めて?くれたのがとても自分の中で助かった。家に帰って暑いシャワーを浴びて1人で部屋にいたらどうしようもない不安に襲われてきた。自分はJohnに電話をしてJohnの家に行きしばらく何でもない事を話して、その後JohnとJohnのガールフレンドのSallyと一緒にパブへと出かけて行き自分の中で気持ちを整理して落ち着かせて家に帰って行った。明日はレースが行われるかどうか分らないが、とにかく行われる事を前提に自分が琢磨君のフォローをしっかりと出来るように気持ちの整理はしっかりとついた。もう大丈夫。明日はいつも通りしっかりとした態度で明日に臨んでやる。

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